【教員必見】受験不安!コロナ休校の今学校は何をすべきか。
新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言の一部解除によって、学校を再開した自治体と、休校を継続する自治体の間で「学習機会の格差」が問題となっています。
「学習機会の格差」により、全国の教育関係者が、
- どのようにして生徒の「学習機会を保障」するのか
- 「受験の公平性」をどう担保するのか
について頭を悩ませる中、考え方や発想を変えることによって、
その両者を実現できる方法について提案したいと思います。
固定概念にとらわれず、発想を転換すれば解決の道が見えてきます。
小太郎
目次
休校中にできる「学習機会の保障」方法
既存コンテンツの活用
生徒たちの学習機会が奪われてる今、必要なことはスピード感です。
学校では、
- 自宅学習のための課題の提示
- 時短教材の開発など教員による工夫
- オンライン授業の実施のための準備(既に実施している自治体もある)
などが行われていますが、これでは公教育しか受けられない生徒と、
私立や塾などでオンライン授業を受けられる生徒との格差は広がるばかりです。
しかし、既存のコンテンツを活用できれば、すぐにでも学習機会を保障することができます。
具体的には、「スタディサプリ」など、民間企業が提供する「授業動画サービス」の導入です。
自治体の予算で一括して契約すれば、
今すぐに生徒が「無料」でオンライン授業を見れる環境を作ることができます。
都道府県の教育委員会や学校では、
Wi-fiやPCなどのネットワーク機器を生徒へ貸し出したり、授業動画の作成などに取り組んでいますが、
それを整理し、
- オンライン環境の整備 → 都道府県の責任で行う
- オンライン授業の配信 → スタディサプリなど既存のコンテンツを活用する
というすみ分けによって、とにかく緊急に生徒の学習環境を整えるべきだと思います。
僕自身も公立高校の教員なので、この案は苦渋の判断ではあります。
プロの端くれとして、生徒の学習保障を外部に委託する悔しさは他の教員と同じです。
しかし、それでも生徒の心情を慮れば、一刻を争う事態だと思います。
愛知県は既に公立の小中高に「スタディサプリ」の導入を決めました。
まずは、緊急避難の施策として3か月程度「スタディサプリ」などの「授業動画サービス」を活用し、
生徒の学習機会を保障することが責務であると考えます。
公教育の意義
ある論調では、オンライン環境のある私学や塾に通える生徒と、
そうでない生徒の教育格差について、
「そもそも教育環境は経済力に左右されるものだから、今回の格差も同じ問題である」
という意見もあるようですが、これには反対です。
なぜなら、
私学や塾などの教育サービスを受けることができる生徒と、そうでない生徒の競争は、
公教育というセーフティネットがあって初めて許容できるものであって、
公教育が機能していない現状では、
教育の機会均等の観点から公平性が担保できないからです。
だからこそ、公教育というセーフティネットがその役目を果たせていない今、
民間企業の「授業動画サービス」の活用が急がれるのです。
授業時間の不足と受験の公平性
授業時間の不足
コロナ休校の長期化によって、授業時間の不足が深刻化しています。
各自治体の教育委員会や学校では、授業時間を工面するために、
- 土曜授業の実施
- 行事のスリム化
- 夏休みの短縮
- 9月入学
などが議論されていますが、先が見通せない中では、
1単位(50分)×35単位時間=(1750分)の標準時数を確保するための方法論を考えるのは、
もはやナンセンスだと思います。
仮に計算上、標準時数を確保できたとしても、この先さらに休校が延長されれば、
その計画は絵に描いた餅となってしまうからです。
指導要領上の建て付けや文部科学省の見解も、35単位時間を絶対視しているわけではありません。
例えば、「中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 総則編」では、
1 各教科等の年間授業時数
②別表第2に定めている授業時数を踏まえて教育課程を編成したものの災害や流行性疾患による学級閉鎖等の不測の事態により当該授業時数を下回った場合,その確保に努力することは当然であるが,下回ったことのみをもって学校教育法施行規則第 73 条及び別表第2に反するものとはしないといった趣旨を制度上明確にしたものである。
とされており、
今回のコロナウイルスのような不測の事態の場合は、授業時間を確保する努力は必要だけど、
標準時間を下回ったとしても、学校教育法施行規則に違反とはならない、と説明しています。
さらに、「高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説 総則編」では、
(3) 各教科・科目等の授業時数等(第1章総則第2款3(3))
ア 全日制の課程における年間授業週数(第1章総則第2款3(3)ア)「年間 35 週行うことを標準と」するとは,35 週を上回ったり,あるいはこれを下回ったりしてもよいということであるが,それには教育的な配慮に基づく適切な幅の範囲という一定の限界があることを示している。
と、流行性疾患についての言及こそありませんが、
標準時間については、一定の限界を示しつつも弾力的な運用が可能であるとしています。
標準時間数が絶対のものでないのであれば、ここで考えるべきは、
授業時間が不足する中で、いかに受験の公平性を担保するかだと思います。
受験の公平性を担保するための具体的な方法
授業時間や学習機会にバラつきがある中で、受験の公平性を担保するためには、
文科省による「学習内容の精選(=受験範囲のスリム化)」が必要だと考えます。
つまり、削られた授業時間の中でも、最低限学校で学ぶべき内容(=受験範囲)を
予め文科省が定めておくことで「受験の公平性」を担保するのです。
例えば、全国で最も遅い学校の再開が、
- 6月の場合 → 「国語の受験範囲は単元1~6」まで
- 7月の場合 → 「国語の受験範囲は単元1~5」まで
というように、学校再開時期ごとに段階的な受験範囲を定めておけば、
オンライン環境の有無で受験の公平性が損なわれる事態は回避できるのではないでしょうか。
学習内容の削減は問題ではない
「学習内容を精選(=受験範囲をスリム化)」した場合、
中には「昨年度と今年度で学習内容(範囲)が異なるのは問題では?」と考える人もいると思います。
確かに、この方法では昨年度と同じ水準の学習内容を保障することはできません。しかし、学習内容は時代とともに変わってゆくものです。
例えば、「ゆとり教育」が導入された際には、学習内容が3割削減されました。
このように、10年に一度の「学習指導要領」の改訂によって、去年の生徒が学んだ内容と、
今年の生徒が学ぶ内容が異なるということは、実は当たり前のように起こっているのです。
しかし、だからといって、
「昨年度と比較して、今年度の学習内容が著しく少なくてもよい」
というわけではありません。
昨年並みの学習内容に近づける努力は、国や自治体・学校など、
教育関係者に課された使命でしょう。
だからこそ、緊急避難的だとしても「民間授業動画サービス」の導入が求められるのです。
まとめ
今回は、コロナ休校によって「地域間の教育格差」が問題となる中、
「学習機会の保障」と「受験の公平性の担保」のための方法論について私見を述べました。
- 「民間授業動画サービス」の導入
- 文科省による「受験範囲の精選」
「民間動画サービスの導入」については、反対する教育委員会や学校も多い思います。
僕自身、このアイディアを同僚に話した時は、
「学校の存在意義がなくなる」と大バッシングを受けました。
しかし、誤解を恐れずに言えば、
「その程度でなくなる存在意義なら、学校などなくなってしまえばいい」と思っています。
学校教育は、学びの「手段」に過ぎません。
生徒にとってより良い学びの手段があるのであれば、学校にこだわる必要はないはずです。
学校という場所で、仲間の顔を見ながら学ぶことのできる環境に、
どんな「価値」と「優位性」があるのか。
オンライン授業にはない学校教育の可能性を、学校や教員自身が考えていかなければなりません。
その答えは、学校教育と動画授業サービスの「すみ分け」という消極的なものではなく、
両者の「融合」の可能性を秘めている、と僕は思っています。
今、学びの機会を奪われている子どもたちのためにも、
私たち教育関係者はコロナ騒動を教訓とし、
学校の存在意義をもう一度問い直さなければならないのではないでしょうか。