【教員の忙しさが生徒の不利益に?!】教員に働き方改革が必要な3つの理由③「生徒への悪影響編」
学校働き方改革アドバイザーの小太郎です。
「教員に働き方改革が必要な3つの理由」の最終回は、教員の労働環境の悪化が生徒へ与える不利益についてです。
皆さんは、教員が生徒のために頑張りすぎると、かえって生徒へ悪影響を与える、と聞いたらどう思うでしょうか。
「教員が生徒のために頑張るのは当たり前じゃないの?」
「先生が熱心なら生徒にとってプラスでは?」
と考える方も多いのではないでしょうか。
教員が生徒のために力を尽くすのは当然なので、その意見はもっともだと思います。
ただ、ここで考えて頂きたいのは、いくら生徒のためとはいえ、リソースの有限性を考えずに、教員が無理な働き方をしているとしたら、それは本当に生徒のためになるのか、という問題です。
この問題について、現役の教員だけでなく、保護者や一般の方も一緒に考えて頂くことで、学校教育の方向性が見えてくるのではないかと思っています。
小太郎
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目次
仕事に追われてゆとりのない教員
まず、現状として教員の働き方がどのようなものかデータで確認したいと思います。
文科省の「教員勤務実態調査(2016)」によると、自宅残業も含めた労働時間が過労死ライン(週60時間以上の労働)を超える教員は、
- 小学校 57.8%
- 中学校 74.1%
となっています。
(ただし、持ち帰り仕事の時間を1週間あたり5時間として補正し、残業時間に計上)
これは他業種との比較においても、非常に高い割合であることが分かります。
これまでの学校の関心事といえば、授業のあり方や生徒指導など生徒との関わりに関することが中心で、いかに組織を運営するかという経営部門のマネジメントが求められてきませんでした。
そのため、リソース(人、モノ、カネ)の有限性を考えることなく、「あれも、これも生徒のため」と仕事を増やし続けてきたのです。
そして、まかないきれない分は、残業や持ち帰りの仕事、休日出勤といった「教員の無償労働(教育公務員に残業代はありません)」によって補われる構造となっています。
生徒のために、教員がいわば「善意の負担」をしているのです。
しかし、いくら生徒のためとはいえ、睡眠時間を削ったり、休日出勤が当たり前の働き方が続けばどうなるでしょうか。
愛知教育大によるアンケート「教員の仕事と意識に関する調査(2015)」では、「仕事に追われて生活のゆとりがない」と回答した教員が、
- 小学校 76.6%
- 中学校 75.3%
- 高校 67.7%
にのぼっています。
そのような心身ともに追い詰められた状態で、好奇心を刺激する授業や、生徒の問題解決の後押しとなるアドバイスができるでしょうか。
おそらく授業の質は低下し、悩みを抱える生徒の表情にも気づけないでしょう。
教員が「生徒のため」に長時間労働をしても、結局それは生徒のためにならないということです。だから教員の働き方改革が必要なのです。
小太郎
教員に働き方改革が必要な理由③:生徒への悪影響
では、教員の労働環境の悪化によって、生徒へどのような悪影響があるのでしょうか。
悪影響(1):授業の質が低下する
労働環境の悪化で最初に削られるのは○○の時間
ここで皆さんへ1つ質問したいと思います。
教員の多忙化によって業務時間が圧迫されると、真っ先に削られる業務は何だと思いますか?
教員の方は自身の働き方を振り返ってみて、保護者や一般の方は、教員の学校での様子などを想像して、考えてみてください。
小太郎
学校の多忙化によって、教員はもっとも大切な業務である「授業」を工夫したり、分かりやすくするための時間を削らざるを得なくなっているのです。
信じがたいかも知れませんが、これは事実です。
前述した愛知教育大「教員の仕事と意識に関する調査(2015)」では、教員の悩みや不安として「授業の準備をする時間が足りない」との回答が、
- 小学校 94.5%
- 中学校 84.4%
- 高校 77.8%
にのぼっています。
また、ベネッセコーポレーションの「第6回学習指導基本調査(2016)」においても「教材準備の時間が十分にとれない」と回答した教員が、
- 小学校 90.5%
- 中学校 83.3%
- 高校 70.2%
となっており、愛知教育大学のアンケートと似たような結果が出ています。
授業準備の時間が工面できなければ、当然ながら授業の質は下がります。授業の質が下がれば、生徒の学習定着率も低下するでしょう。
これを裏付けるように、「教員の仕事と意識に関する調査(2015)」では、「義務教育段階の学習内容が定着していない生徒が多い」と感じている高校教員が79.2%にのぼってます。
小中学校の教員が抱える「授業の準備をする時間が足りない」という悩みは、現実問題として子どもたちの学習の定着を阻害しているのです。
授業準備に必要な時間
では、授業の準備にはどのくらいの時間が必要なのでしょうか。
「教員は毎日授業をしているのだから、教科書をちょっと見直せば授業ぐらいできるのでは?」と思うかも知れませんが、それは誤解です。
40人の生徒を前に、50分の一本勝負。
生徒の興味や学力が一様でない中で、わかりやすく面白い授業を行うのは簡単ではありません。
小太郎
ビジネスパーソンのプレゼンと同じように、
- テーマ設定
- 資料集め
- レジュメやスライドの作成
などが必要で、新しい単元の授業を準備するためには、最低でも「授業時間」の2倍(授業が50分ならば100分)の時間が必要と言われています。
それを踏まえて、学校では「授業時間」に対してどのくらいの「授業準備」の時間がとれているのか、「教員勤務実態調査(2016)」から確認してみましょう。
例として、中学校教員のデータを抽出すると、「授業時間」は1日あたり3時間5分なので、
1週間に換算すると、
3時間5分×5日=15時間25分(925分)になります。
これは1週間あたり18コマの授業に相当します。
(1週間の授業時間925分÷50分授業=18.5コマ)
ただし、同じ内容の授業を複数のクラスで行うため、18コマすべてに準備が必要というわけではありません。
18コマの授業であれば、1週間に必要となる「授業準備」はおそらく7回ほどでしょう。
(4単位科目×3クラス+3単位科目2クラス=18単位として計算)
「授業準備」に必要な時間は、「授業時間」の2倍ですから、
授業時間50分×2×7回分=11時間40分___①
これが1週間の時間割をこなすのに、最低限必要な「授業準備」の時間となります。
これに対して、「授業準備」の時間は、1日あたり1時間26分となっています。
これを1週間に換算すると、
1時間26分×5日=7時間10分___②
ですので、①-②の差分4時間30分が1週間あたりの「授業準備」の時間として不足し、残業などによって補われることになります。
1週間に4時間30分の残業であれば許容範囲と思うかも知れませんが、これはかなり少なく見積もった値です。
なぜなら、中学校で授業が18コマというのは実態より少なく感じますし、準備に「授業時間」の2倍以上必要な場合もあるからです。
さらに、業務は授業だけではありません。
当然ながら、部活や事務作業、保護者への連絡などでも残業は発生するため、業務改善によって授業準備ができるだけ時間内に終わるしくみを作る必要があります。
ちなみに、全ての授業を担任が行う小学校では、授業コマ数はさらに多くなり、準備に必要な時間も膨大になります。
「授業準備の時間が足りない」と感じている教員が、小学校で90%を超え突出して多いのは、こうした事情があるのです。
小太郎
このように、「授業準備」の不足分は、多くの教員が残業や休日出勤などの無償労働で補っています。
しかし、それにも限界はあるでしょう。
時間的制約や健康上の理由から時間外労働ができなくなれば、準備不足の状態で授業に臨まなければなりません。
これが生徒の学びに悪影響を与えるのです。
悪影響(2):生徒相談のチャンスが失われる
2点目の悪影響は、生徒相談の機会が失われることです。
教員は、常に生徒の様子に目を配っています。
子どもたちの集団内での言動や、すれ違う生徒の表情など、さまざまな角度から情報をキャッチして、気になる生徒に声をかけたり、必要に応じてフォローするのが「生徒相談」です。
しかし、「仕事に追われて生活のゆとりがない」ほど、教員が心身ともに追い詰められた状態では、生徒の様子をじっくり観察することなど不可能でしょう。
その結果、生徒のSOSのサインに気づくことができず、問題が深刻化する可能性があるのです。
さらに、教員の多忙化は生徒に遠慮心を生みます。
僕自身の経験ですが、生徒から「先生に相談したかったけど、忙しそうだったから声をかけられませんでした」と言われ、心から反省しました。
小太郎
生徒は教員をよく見ています。
教員が浮かない顔をしていれば心配してくれますし、仕事が忙しい時はそれを察する生徒もいます。
生徒が、教員に遠慮して相談すらできなければ、何のための学校、何のための教員でしょうか。
発達段階にある子ども達の悩みはさまざまです。
健全な学校生活を営むためには、その時々に応じたサポートが必要になります。
そうした切れ目のない相談環境をつくるためにも教員に働き方改革が必要なのです。
悪影響(3):教員の人材不足
生徒へ与える悪影響の3点目は、教員の人材不足による教育力の低下です。
教員のブラック化による教員採用試験の倍率低下や、人材確保の難しさについては、「教員に働き方改革が必要な3つの理由②リクルーティング編」で解説しましたが、現在学校では、
という負の連鎖が起こっています。
教員の人材不足が生徒の教育環境に悪影響を与えているのです。ここでは、教員採用試験の倍率低下による生徒への不利益について紹介します。
教員採用試験の倍率低下
このグラフは、教員採用試験の倍率の推移を示したものです。
(出典:文部科学省「令和元年度公立学校教員採用選考試験の実施状況のポイント」)
文部科学省の調査によると、平成12年に13.3倍だった公立学校の教員採用試験の倍率は、
令和元年には4.2倍まで落ち込んでいます。
中でも深刻なのは小学校の倍率で、令和元年実施の採用試験では、
- 新潟県 1.2倍
- 福岡県 1.3倍
となっています。
教員の人気が下降トレンドの中で、優秀な人材が教職を敬遠しているとすれば、中長期的な教育力は衰えてゆくでしょう。
加えて、教員採用試験の倍率低下は、教員の「量の面」でも悪影響を及ぼしています。
平成30年度の教員採用試験の倍率が2.2倍と低かった広島県では、「採用基準を下げず、質の維持を優先した」結果、470 人の採用予定に対し、420 人しか採用できずに教員不足に陥りました。
(令和元年5.14読売新聞)
また、文科省が平成30年度に11の自治体に行った「教員の確保状況に関するアンケート結果①」によると、平成29年度の始業日において不足した教員数(常勤)が、
- 小学校 266人
- 中学校 101人
にのぼっています。
これらの自治体では、教員が不足した結果、
- 教頭が担任を務める
- 担任が決まらず、持ち回りで対応する
- 中学校で理科などの授業ができない
- 体育の免許しか持たない教員が現代文の授業を行う
などが起きています。
これらは、生徒の教育環境を悪化させる事態です。
教員のブラック化によって教職が敬遠され、必要な人員を確保できずに、結果として子ども達に不利益が及んでしまう。
これが生徒へ与える悪影響の3点目です。
悪影響(4):生徒へ与える心的ショック
直接的な影響としては、これが最も大きいと思いますが、生徒へ与える心的ショックの問題があります。
2018年4月21日付の毎日新聞によると、教員の過労死と認定されたケースは、2016年までの10年間で実に63人にのぼっています。(長時間労働の実態があっても、勤務時間の証明が難しく、過労死と認定されずに泣き寝入りするケースも相当数存在すると指摘されています)
教員が「生徒のため」にと熱心に仕事をして、不幸にも過労死や精神疾患になってしまったら、関わりのあった子ども達のショックはどれほどのものでしょうか。
部活などで付き合いの深い生徒は、生涯自分を責めるかも知れません。
神奈川新聞の記事では、横浜市の中学校で起こった教員の過労死事件について、このように紹介しています。
工藤義男先生の葬儀には、延べ2千人が参列した。当日は、最寄り駅の改札から徒歩5分程度の葬儀場まで、会葬者の列がつながった。午後6時に始まったお通夜が終わったのは、午後10時半ごろだった。
「後日、夫が顧問をしていたサッカー部の生徒が尋ねてきてくれた。彼らが、僕らのせいだって泣くんですよ。夫は部活が大好きで、『いくら疲れていてもあいつらの顔見ると元気が出る』って。でも最後となった練習では、夫は木陰から立ち上がれなかったらしい。生徒たちは、そんな姿を心配していたらしくて」
妻の祥子さんは、泣きながら「あなたたちのせいじゃないよ」「あなたたちが夫の生きがいだったんだよ」と言い聞かせた。
出典:【先生の明日】(上)熱血教師は40歳で死んだ カナコロ(神奈川新聞)
文面から、亡くなられた工藤先生の人柄が伝わってくるようです。
きっと多くの生徒から慕われる先生だったのでしょう。だからこそ、先生もその気持ちに応え、熱心に指導されてきたのだと思います。
亡くなられたご本人の無念さ、ご遺族のやり切れなさを思うと言葉もありません。
生徒たちのショックもどれほど大きかったでしょうか。
教師と生徒の関係は、卒業したから切れるというものではありません。
良きにつけ悪しきにつけ「思い出」の中で生き続け、生涯にわたって記憶に残ってゆくものです。
その記憶の中に、先生の「過労死」という悲しい出来事が刻まれてしまったら、思い出を振り返ることすらためらわれるでしょう。
「生徒のため」に頑張るのが教師の本分です。しかし、「生徒のため」だからこそブレーキをかけることも必要なのです。
このような悲しい事件は、もう二度と起こしてはいけないと思います。
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悪影響(5):ブラック労働の再生産
生徒へ与える悪影響の5点目は、教員が無意識のうちに、生徒へブラック労働を肯定するメッセージを与えてしまうことです。
教員がメッセージ性を意図する・しないにかかわらず、子どもが自ら学び取ることを「ヒドゥン・カリキュラム(隠れたカリキュラム)」と言いますが、ここに悪影響が潜んでいます。
例えば、生徒から次のような質問されたケースを考えてみましょう。
土日も部活で休みがなくて、体調や家族は大丈夫なんですか?
生徒
教員の働き方を間近で見ている生徒は、実際そのように心配してくれることもあります。
この場合、教員側の回答としては、
A「大変だよ、本当は休みたいけど仕事だから仕方ないよ」
B「大変なこともあるけど、生徒のために努力するのが教員だからね」
C「全然大丈夫だよ、これが自分の生きがいだからね」
検証したわけではありませんが、教員の多くがBを選択するのではないでしょか。生徒の前で「辛い」とはなかなか言わない(言えない)と思います。
すると、生徒の中には、
- なるほど、働くというのはそういうものなのか。
- 自分も夢を仕事にするなら少しぐらい辛くても頑張らなきゃ。
- やりたいことなら多少の犠牲は仕方ない。
と受け取ってしまうこともあるのです。
これが「ヒドゥン・カリキュラム(隠れたカリキュラム)」です。
教員としては、こうしたメッセージを意図して回答しているわけではありませんが、生徒自身がそのように解釈しているので、「隠れた」カリキュラムと呼ばれます。
そしてこの解釈は、ブラック労働の温床になりかねません。
生徒の中に「何があっても仕事は頑張らなければいけない」という価値観が形成されてしまうと、ブラック労働を許容してしまう可能性があるからです。
もちろん、辛いことから逃げずに挑戦したり、我慢したりすることは社会生活を営む上で重要なことです。しかし、我慢することとブラックな働き方を認めることは違います。
間違った働き方に対しては、それを指摘し、改善してゆかなければ社会の発展は望めないでしょう。
また、教員志望の生徒が同じく回答Bを聞いたら、
「先生たちはこんなに忙しくても生徒のために頑張っている。やりがいがあれば、仕事が大変でも乗り越えて行ける」という、ある種の覚悟を持って教員になるかも知れません。
そうした教員は、ブラックな労働環境を理解して着任している分、耐性があって労働問題に鈍感になってしまうおそれがあります。
現役世代の教員が、その背中で「ブラックな働き方」を示すことによって、次世代へブラックな労働環境を引き継いでしまうのです。
それは「ブラック労働の再生産」に他なりません。
誰もが働きやすい職場をつくるために、社会全体が働き方改革に舵を切る中で、次世代を担う子どもたちに過労死ラインの働き方を見せることは、もはや時代錯誤と言われても仕方ないでしょう。
まとめ
今回は「教員に働き方改革が必要な3つの理由③生徒への悪影響編」として、教員の労働環境の悪化が生徒へ与える不利益について解説しました。
誤解して頂きたくないのは、僕は「すべての残業が悪である」とか「教員はもっとドライになるべき」と言っているわけではありません。
生徒が人生の岐路に直面している時、悩みや不安を抱えて押しつぶされそうな時など、生徒がサポートを必要としている場面では、働き方を度外視して寄り添うべきだと思っています。
しかし、リソースの不足分を教員の無償労働で補填する構造や、過労死ラインがデフォルトの働き方では、授業準備や生徒相談など生徒に本当に必要な支援が行き届かなくなってしまう。
生徒に寄り添わなければならない時に、その踏ん張りが利かなくなってしまう。
そのようなことを防ぐために、リソースの有限性を自覚し、働き方を見直さなければいけない、ということを理解して頂きたいと思います。
- 学校の仕事を増やし続けた結果、教員は生活にゆとりがないほど追い詰められている
- 教員の多忙化によって授業準備や生徒相談の時間が削られている
- 生徒・教員の双方に不利益を与えるブラックな働き方は早急の改革が必要
冒頭で、教員の働き方について、保護者や一般の方にもお考え頂きたいと述べました。
それはこの問題の本質が「世間の理解を得られるかどうか」だからです。
皆さんのご理解が持続可能な教育の一歩を拓きます。
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Comment
こんにちは、50代高校教員です。
>問題の本質が「世間の理解を得られるかどうか」だからです。
これは私もとても感じます。
年休を取って早めに帰宅しても、
「地域の人には理解してもらえないかも」
「教員はいいよな~、とか思われるのでは」
という”不安をいつも抱いて”います。
一方で、理解を得られようとなかろうと、
教員の質は低下するし、病気になるものはなるし、
学校も家庭も崩壊するでしょう。
”不安を抱く”のも実はただの忖度で、
本当は『保護者も地域の方もちゃんとご理解されている』
なんて都合のいいことはないのでしょうか??
(だれか意識調査してくれないかな~・・、いや、やぶへびか・・)
また、
もし理解が得られたとして、そのつぎはどうしたらいいのでしょうか?
本当に困ったものです・・・
SQSSQSさん
世間の理解については、学校や教育委員会からの継続的な発信が欠かせないと思います。
教員の働き方は、肌感覚ではありますが、近年の教師バトンや報道などで少しずつ世間から理解されつつあるように感じます。僕より経験の長いSQSSQSさんはどのように感じておられるでしょうか。
ただ、そうはいっても土日出勤手当はほとんどなく、時間外手当もつかないことなど、詳しい事情までは知られていません。
ですので、学校(校長)が折に触れて保護者や生徒に、そうした事情を説明することが大事だと思います。教育委員会もそうした説明を後押しする施策をとって頂きたい。
理解が得られた後と明確に切り分ける必要はないと思いますが、理解を得る努力をしながら、時間対効果の低い業務をやめたり、簡素化したりして、業務を削減してゆくのが働き方改革の基本路線であると思います。